竹細工の起源

  山野に自生するすず竹を利用した竹細工は、岩手県北部の二戸地方の特産品として知られています。平安時代の初期に鳥越観音を開いたという言い伝えのある慈覚大帥と結び付く竹細工の由来の伝説がある(詳細については、「鳥越の竹細工の伝説」を参照下さい。)ことから、その起源はかなり古いと思われますが、はっきりしたことはわかりません。
 資料がある時代になりますと、江戸時代に籠(かご)や笊(ざる)が作られていた記録が見られます。
  明治時代に入ると、地元の農家の経済を補充することを目的として、副業としての竹細工の生産が奨励され、生産技術の向上も伴って生産体制が確立され、実用品だけでなく工芸品的な性格をもつ作品も作られるようになり、現在に至ります。
  鳥越の竹細工の中心は籠類で戦前は行李がよく作られており、戦後になると竹細工に対する需要の変化から手提げかごが量産されるようになりました。

鳥越の竹細工の伝説

  鳥越観音を開いた慈覚大帥が観音開基のために山堂にこもり、日夜を送っていたところ、ある夜に観音が姿が現し、「この里人の心根は善だが、冬の長い土地なので、人々の生活は安らかではない。そのために、心も荒み、迷いも生じている。お前は私の化身を篠竹で編み、その編み技を里人に教えて冬の日のなりわいとさせなさい。そして人身畜生皆因果応報輪廻の理により、四足二足の命を奪ってその肉を食うことは、わが身を畜生の輪廻に陥すという理を訓しなさい」と言った。
  すると、観音菩薩の姿が薄れて白蛇の姿になり、胴体が透き、その骨組みが編代の編み模様として鮮やかに映し出された。

  これを見た大師は、翌朝から鳥越山の篠竹をとり、白蛇の骨組みを基にして編代の編み方を創案した。そしてこの編み方を観音のお授けとして里人に教えた。
さらに、「人間は悪業を重ね、畜生道に陥れば死後に地獄の責苦にあい、他生は鳥獣の畜生に生まれ変わる。今、お前たちがもし四足二足の生命をあやめ、これを食べることはお前たちの祖先や身寄りの者の生まれ変わりを食べていることになり、誠に罪深い所業である。やがては自らを畜生道に陥すことである。」と肉食禁忌の教えを説いた。
里人は、深く観音の慈悲を感じてお授けを受けた竹細工を伝習し、以来、四足二足の肉食を絶って観音の信仰を深めた。

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