鳥越竹細工の起源

  竹細工の工芸技術は、いつごろどんな経路で導入されたかについては、裏付けとなる確実な資料もない。ただ生産については、約三百年前の元禄の頃の「藩内産物書上」にも南部藩の特産物の一つとして鳥越の「竹かご作り」のことが記されているのを見ても相当古い伝承工芸であることがわかる。起源については伝説のほかに確実な資料もなく、定説といわれる程のものはない。近年出土している縄文土器の中に、外底部に”ザル編み”の圧こんが見られるものがあることから縄文後期の頃にはもう竹細工があったのではないかとの声も聞かれるが、”ザル編み”や”十字編み”ならともかく【網代編み】でかごの形を作り上げる技術まで持っていたとは思えない点もあるので、鳥越の竹細工技術は一応他から導入されたものであることは間違いのないところであろう。その場合考えられることの一つは、開拓時代に鳥越に入ってきた人たちの中にこの技術を身につけた人達が入ってきたことも考えられる。又、鳥越に住んでいる人で後によそから技術の伝習を受けて来たのであろうとも考えられないこともない。然しこうした個人的に習得された技法であれば、もっと昔の時代に近隣他町村に拡がっているはずで、昭和初期迄鳥越だけの工芸技術として伝承されて来ている事実から、そこに信仰につながるものの介在があったのではなかろうかとの仮説が生むれてくる。何処のことでも伝説は史実ではないが、ここでは観音信仰に関連した旅の僧侶とか、山伏六部等の行者が、長期のおこもりをしている間に村人に伝えたものであり、それが観音信仰と結びついて伝承されてきたのではなかろうかとの仮説を支持したい。「鳥越小史」より

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