兵庫県の知事のパワハラ疑惑を告発した元西播磨県民局長の渡瀬康英さん。
渡瀬康英さんの経歴を調べたところ、大卒で兵庫県庁に入庁して約40年という県庁一筋の経歴がわかりました。
また、渡瀬康英さんの学歴についても調べたところ、なんと西日本最高峰の京都大学出身ということも判明しました。
渡瀬康英さんの経歴や学歴について詳しく見ていきたいと思います。
この記事ではこんなことがわかります
- 渡瀬康英のプロフィール
- 渡瀬康英の経歴
- 渡瀬康英の学歴
渡瀬康英のプロフィール
渡瀬康英さんのプロフィール情報はこちらです。
名前 | 渡瀬康英(わたせやすひで) |
年齢 | 60歳没 |
出身 | 兵庫県姫路市 |
職業 | 元西播磨県民局長 |
学歴 | 兵庫県立西高校 京都大学法学部 |
家族構成 | 妻、妹 |
渡瀬康英の経歴は県庁一筋約40年!
渡瀬康英さんの経歴はこちらです。
- 1987年:大学卒業後、兵庫県庁に入庁
- 2015~2017年:人事課長に就く
- 2017年頃:教育次長に就く
- 2018年頃:広域観光・文化・スポーツ振興局スポーツ部長に就く
- 2019年:企画県民部管理局長に就く
- 2021年:西播磨県民局長に就く
- 2024年:3月に退職し、4月より姫路女学院の学園長に就任予定だった
1987年:兵庫県庁に入庁
渡瀬康英さんは京都大学法学部卒業後、1987年(昭和62年)に兵庫県庁に入庁しています。
2024年7月19日に行われた百条委員会で、奥谷謙一委員長が渡瀬康英さんへの弔意の中で「昭和62年に兵庫県庁に入庁」と発言していたことから判明しました。
2015年~2017年頃:人事課長
渡瀬康英さんは2015~2017年に人事課長の職に就いていました。
実際に自分が採用面接をしていた時の経験では、「公務員になりたいのは分かりましたが、では何故、兵庫県なのですか」と尋ねます。答えは色々と返ってきますが、模範解答のオンパレード。で、突っ込んでいくと、案の定、結局はあやふやな答えに。まあ、それでいいんですけど。
ちなみに、2024年7月17日に週刊文春が報じた内容によると、渡瀬康英さんが告発文に綴った中で登場している「牛タン俱楽部」のメンバー4人は、みんな人事課に所属していたことがわかっています。
そもそもⅩ氏が告発したのは斎藤知事だけではない。片山副知事、県職員の総務部長、産業労働部長、若者・Z世代応援等調整担当理事の4人への言及がある。この“4人組”は、みんなもともと人事課出身。
2017年頃:教育次長
2017年頃に渡瀬康英さんは教育次長の職に就いていました。
平成29年度の『第1回ゆずりは賞授賞式』の際、教育次長として渡瀬康英さんが参加していました。(写真前列左)
<ゆずりは賞とは>
学校教育や社会教育等の分野で、多くの人々の模範となるような立派な行為や有益な研究・発明をした個人や団体を表彰しその功績を称える賞
2018年頃:広域観光・文化・スポーツ振興局スポーツ部長
渡瀬康英さんは2018年頃に、広域観光・文化・スポーツ振興局スポーツ部長の職に就いていました。
平成29年10月の『関西広域連合議会第17回産業環境常任委員会会議録』には、広域観光・文化・スポーツ振興局スポーツ部長として渡瀬康英さんの名前が見つかっています。
2010年12月1日に設立された『関西広域連合』において、広域的な行政課題に関して7分野の事務が分けられていました。
<関西広域連合>
構成団体は滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、徳島県、京都市、大阪市、堺市、神戸市(平成27年12月4日現在)
- 広域防災
- 広域観光・文化・スポーツ振興
- 広域産業振興
- 広域医療
- 広域環境保全
- 資格試験・免許等
- 広域職員研修
このうち、渡瀬康英さんは「広域観光・文化・スポーツ振興局スポーツ」部門の部長を務めていました。
2019年:企画県民部管理局長
渡瀬康英さんは2019年に企画県民部監理局長に就任していました。
<企画県民部管理局とは>
県政の総合的な企画・調整や情報企画に関する事項を取り扱う部署で、下に総務課・総合政策課・椎井振興課など多くの課が所属している。
2021年:西播磨県民局長
渡瀬康英さんは2021年に西播磨県民局長に就任しました。
<西播磨県民局とは>
西播磨県民局に関する情報の他、管内での実施事業に関する情報を発信・掲載している。
所管地域:相生市、たつの市、赤穂市、宍粟市、太子町、上郡町、佐用町
このたび西播磨県民局長に就任しました渡瀬です。(中略)
豊かな地域資源を生かした個性あふれる事業を展開していきます。どうぞよろしくお願いいたします。引用:『Hyogo』の2021年5月号より
写真の表情からも「いい人」という感じが伝わってきますね!
2024年:退職予定・姫路女学院学園長就任予定だった
渡瀬康英さんは2024年3月に退職予定で、その後は4月より姫路女学院の学園長に就任する予定でした。
しかし、渡瀬康英さんが提出した告発文書をめぐって退職は保留に。
2024年5月7日に県側は「文書の核心的な部分が事実ではない」などとして、渡瀬康英さんを停職3カ月の懲戒処分にしました。
3月中旬 | 渡瀬康英さんが斉藤元彦知事や県幹部の「違法行為」「パワハラ」の7項目の疑惑を明記した文書を報道機関・県議らに郵送する |
3月25日 | 渡瀬康英さんが勤務する西播磨県民局に副知事と人事課長が乗り込んで渡瀬康英さんのパソコンを押収 |
3月27日 | 渡瀬康英さんは西播磨県民局長を解任させられる。、3月末での退職も保留と発表され、斎藤元彦知事は会見の場で「文書内容は嘘八百」などと批判 |
4月4日 | 渡瀬康英さんは告発文書の一部の内容を、兵庫県の制度に基づき公益通報する |
4月16日 | 兵庫県は文書に書かれた内容に関連し、産業労働部長(原田剛治さん)が高級コーヒーメーカーを県内企業から受け取っていたことを常任委員会で報告 |
4月20日 | 県民生活部総務課のパレード担当(橋本浩良課長)が亡くなる |
5月7日 | 兵庫県側は「文書の核心的な部分が事実ではない」として渡瀬康英さんを停職3カ月の懲戒処分に処する。産業労働部長へは訓告とする旨を発表 |
5月21日 | 兵庫県議会が斎藤元彦知事に『第三者機関による疑惑の真偽の再調整』を要請。斎藤元彦知事が設置を表明 |
6月13日 | 兵庫県議会が告発文の7項目の疑惑を調査する『百条委員会』を設置 |
6月27日 | 百条委員会は7月19日に渡瀬康英さんを証人尋問すると決定する |
7月7日 | 渡瀬康英さんが姫路市内の民家で亡くなっているのが見つかる |
7月8日 | 緊急理事会が開かれ「告発文とは無関係の資料は開示要求しない」と決議される |
7月12日 | 片山安孝副知事が辞職表明(7月末で退任予定)。「死をもって抗議する」と渡瀬康英さんが生前に残した陳述書と音声データが遺族によって百条委員会に提出される |
渡瀬康英さんは退職後は華々しい第二の人生が待っていたのに、この結末はあまりにも悲しすぎるのではないでしょうか。
また、渡瀬さんが西播磨県民局長として残した最後のメッセージも、ご紹介します。
これから県を支えていく後輩の皆さんに最後に伝えておきたいことを書いておきます。
我々は公務員です。仕事は県民の皆さんのためにするものです。自分のために、自分の栄達のために、仕事をしてはいけない、仕事を利用してはいけない、県民を利用してはいけない。そして、自分の損得勘定で行動してはいけない、人を選別してはいけない。昇任、出世は結果であって、それを目的にしてはいけない。
現在こちらの元の本文が掲載されている西播磨県民局の公式サイトでは、渡瀬康英さんの「局長メッセージ」を見ることができなくなっています。
渡瀬康英の学歴は京都大学卒業の超秀才!
渡瀬康英さんの学歴はこちらです。
- 小学校:姫路市立広畑第二小学校
- 中学校:姫路市立広畑中学校
- 高校:兵庫県立姫路西高校(偏差値72)
- 大学:京都大学法学部(偏差値67-73)
小学校:姫路市立広畑第二小学校
渡瀬康英さんの学歴で、小学校は姫路市立広畑第二小学校出身です。
<姫路市立広畑第二小学校>
住所:〒671-1153 兵庫県姫路市広畑区高浜町3丁目35−35
創立:1957年
渡瀬康英さんは小学校卒業後、地元の中学校の姫路市立広畑中学校に進学します。
中学校:姫路市立広畑中学校
渡瀬康英さんの学歴で、中学校は姫路市立広畑中学校の出身です。
〈姫路市立広畑中学校〉
住所:〒671-1152 兵庫県姫路市広畑区小松町3丁目83
創立:1947年
渡瀬康英さんは中学校卒業後、兵庫県内で5番目に偏差値の高い姫路西高校に進学します。
高校:兵庫県立姫路西高校(偏差値72)
渡瀬康英さんの学歴で、高校は兵庫県立姫路西高校でした。
<兵庫県立姫路西高校>
住所:〒670-0877 兵庫県姫路市北八代2丁目1−33
偏差値:72
創立: 1878年
渡瀬康英さんの出身校である兵庫県立姫路西高校は、偏差値72を誇る超優秀な公立高校です。
姫路西高校は1878年に設立された伝統ある高校で、さらに近年では、「スーパーグローバルハイスクール」にも指定されるほどの名門校でもあります。
<兵庫県立姫路西高校出身の著名人>
- 3代目桂米朝(落語家)
- 藤岡琢也(俳優)
- 杉本和行(財務事務次官、公正取引委員会委員長)
- 渡海紀三朗(元文部科学大臣)
大学:京都大学法学部(偏差値67.5)
渡瀬康英さんの学歴で、大学は京都大学法学部の出身です。
<京都大学>
住所:〒606-8501 京都府京都市左京区吉田本町
偏差値:67-73(法学部)
創立:1897年
渡瀬康英さんの出身校の京都大学は、西日本で最高峰の国立大学と言われている優秀な大学です。
中でも法学部は最高難易度の学部に位置しています。
渡瀬康英さんがその学部に通っていたということは、とても優秀な人物だったことがわかりますね。
渡瀬康英さんの妹の渡瀬ひろみさんが2024年3月3日にFacebookに投稿した内容によると、渡瀬康英さんが就職する時代は好景気でした。
京都大学卒ということであれば引く手あまたの時代でしたが、それにもかかわらず渡瀬康英さんは兵庫県庁の公務員になることを選びました。
大学卒業後、兄は就職先として地元の兵庫県庁を選びました。京大法学部を出て、好景気でどこへでも就職できた時期に、なんで地方公務員やねん!と思いましたが、両親思いの兄の優しさゆえの選択でした。私心なく正義感あふれ、ユーモアに富み、とても尊敬している兄です。
渡瀬康英さんは、高給取りになるよりも安定した公務員になって両親を安心させたかったのかもしれませんね。
【まとめ】渡瀬康英の経歴は県庁一筋約40年!学歴は京都大学法学部卒の超秀才!
今回は「渡瀬康英の経歴は県庁一筋約40年!学歴は京都大学法学部卒の超秀才!」と題してお送りしました。
- 渡瀬康英さんの経歴は大学卒業後、兵庫県庁に入庁
- 人事課長、教育次長、広域観光・文化・スポーツ振興局スポーツ部長、企画県民部管理局長を経て、2021年に西播磨県民局長に就任する
- 渡瀬康英さんの学歴は高校は兵庫県立姫路西高校(偏差値72)、大学は京都大学法学部(偏差値67-73)
兵庫県庁一筋約40年の経歴を持ち、周囲からの人望も厚かった渡瀬康英さん。
告発文の真相が解明されることを心より願っています。
関連記事